平成21年度 磐周教育課程部夏季講座 演題 1 2 国が学習指導要領を定める理由は、教育基本法、日本国憲法に基づき、地域・学校を問わず一定の教育の質を保つため。学習指導要領 は昭和33年から法的拘束力を持つようになった。振り返ると昭和30 ~40年代は時数も増加傾向で進学率も増加傾向にあった時代。知識詰め込み教育への批判を受けて昭和50 年代に「ゆとりと充実」が初めて言われた。ちなみに昭和52年、平成元年改訂は時数が変わっていない。平成10 年で6―7%の時数削減。今回の改訂は、40年ぶりに授業時数が増加したが、それでも昭和40年代の時数には戻っておらず、昭和40年代を100とすると、小学校で92、中学校で86程度の時数。 3 4 Q1 Q2 Q3 Q4 5 6 7
パネルディスカッション
「新学習指導要領のポイントと課題」
開催日:平成21年7月29日
<パネラー>
文部科学省 初等中等教育課程課
山田素子 先生
静岡大学教職大学院
原田年康 先生
常葉学園大学 教育学部
小田切真 先生
豊岡南小学校
寺田綾子 先生
<コーディネーター>
袋井中学校
平野邦孝 先生
趣旨説明とパネラー紹介(教育課程部 顧問 村松啓至先生)
以前、中坊公平氏が県に講演に来た際に色紙に書いた言葉がある。「現場に神が宿る」。全ての真理、ロマンは、今現実にいるクライアントとのかかわりの中に神そのものが宿っているという意味。教育の現場にあてはめてみると、私たちが仕事をしている、子どもを相手にしている、決して他に認められるということではなく、子どもとのかかわりの中に、私たちの活動の真理が隠されているということ。もう一度自分自身を振り返るきっかけになったのを覚えている。本日のパネルディスカッション、シンポジウムのコンセプトは、参加している先生方がこの会の主体である、ひな壇のパネラーが主ではなく、この場にいる先生方が主であるということ。ぜひ活発な意見が聞けるとよいと思う。
パネラー、コーディネーター紹介
新学習指導要領をどのように捉えていけばよいか、実施上の留意点
(寺田先生)
先生方は努力をされていると思う。微力ながらその一員として、現場の現状や思いを大きく3つに分けて話したい。
1点目は多忙感。実質的な面と精神的な面で多くの先生が多忙感を抱いている。実質的な面とは、時数の増加によって、事務処理や教材研究の時間も確保できない。本来向上させたい授業の質向上にかける時間が減っているのは大変痛い。また個別指導も放課後にできなくなり、昼休みなどに行わざるをえない。精神面的な面とは、求められるものが増えていること。学校評価、人事評価、難しい保護者との対応などの問題を抱えて新学習指導要領に対応しないといけない。しかも問題は持続している。すると焦る、気持ちにゆとりがなくなる。
2点目は、改訂への押さえが十分でないこと。外国語指導、時数増などに目が行き、本来の改訂の趣旨や理由など本来の部分が考えにくくなっている。先生によって受け止め方に差があり、理解も異なることで、学校全体の活動に支障がでてくるのではないかと思っている。
3点目は、教師の意識改革とその難しさ。前回改訂時は時数が減り、総合的な学習の時間が増え、正直「こんなに減らしていいの?」と思った。総合学習は今やっと軌道に乗ったと思いきや、今回の改訂で時数が減り、教科時数が増え――先生方の戸惑いが大きい。行事の精選は前回のゆとりのときにも言われてきた。何を減らそうか議論した記憶がある。正直、職員室では「まだ減らすの?」という話になっている。改訂時こそ教材をそろえたりしたいが、磐田市では予算も25%削減されている。
確かにこれまでも学校評価や教員免許更新、難しい保護者の対応、個別支援などもあったが、これらに加えて理数、言語活動など新たな課題に取り組まないといけない。しかも従来の課題は持続している。すると先生たちはあれもこれもやらねばならないと気持ちの余裕がなくなってくる。
(山田先生)
磐田市で2年間勤務を経て今年度より文科省に戻り教育課程課配属。3月末まで磐田市。6月も別件で磐田に来たが、今日は少しこみあげるものがある。
今回の改訂の基本的な理念について、平成10年改訂時の理念が「生きる力」だった。端的に言えば知徳体のバランスのとれた力の育成ということになるかと思う。生きる力が初めて言われたのは平成8年の中教審答申だったが、今回の改訂でも知識基盤社会において生きる力はますます重要になるだろうと中教審答申で言われている。答申のパンフレットでも「理念は変わらない。手立てが変わる。」と言っている。ただ、この答申では「平成10年改訂後を踏まえて課題もあった」と言われている。一つが、生きる力の周知徹底が不十分だったこと。もう一つは、子どもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇することがあったのではないかということ。これについては、前回の一部改正(平成15年)でも指摘されている。三つ目が、各教科と総合的な学習の時間の連携が十分ではなかったのではないかということ。四つめが、各教科の中で活用の学習をするには現在の授業時数では十分ではなかったこと。五つ目が、豊な心・健やかな身体の育成について、社会の変化を十分に反映できていなかったのではないか。これらを踏まえて今回の改訂がなされた。改訂に要した議論の期間は3年間(通常は1.5~2年)と少し長めにじっくり議論した。
(原田先生)
3月末まで浜松市内の中学校で校長として勤務し、4月より静大へ。38年間教員を務めあげ、管理職時代は夜も枕元に携帯を置く生活。こんなにまじめな日本の教師たちにこれ以上何を要求するのかというのが今も感じる気持ち。これだけ(教育政策が)左右に振れて、私のやってきた教育は何だったのかと数年前から自分自身に問いかけてきた。それはずっしりと重かった。多くの先生もそうだと思う。自分の人生をかけてやっても、左右のぶれがゆえにその都度教師が批判されてきた。
その問いかけへの結論は、子どもと教師が営んでいる世界でしかない、ということだと思う。文科省や教委が何と言おうと。教師である私たちがやっている。しかも教科担任・学級担任だけが出来る仕事だと。そこが行政とは違う教育の本当の姿があるのではないかと思う。そこで思い出すのは、戦後教育の中では大村はま。一人ひとりに応じた教材を用い、二度と同じ教材を使わない。あのすごさは財産であり教育の原点であると思う。子どもが10人いれば10通りの教育になる。生徒指導もそう。あるのは目の前の子どもと教師。それが私の38年間の教師生活の結論。ただ、そうやっていくときに、本当は一人ひとりに関わっていかなければいけないが、その子どもが他校に転校したときに保障がない。どの地域に行っても日本人として最低限の教養を持とうよと。それが学習指導要領だと思っている。
もう一つ。その子の過去の学びと、これからの学びは何なのかという物差しを求めるときに、学習指導要領がある。これは現場でみた観点。文科省が提示してくることと、現場の最先端での関わりとは、どこかで一致するはず。一致しないとすれば現場が悪いか文科省が現場を見ていないかのどちらかでしかない。現場を見てはじめて教育改革ができる。安心して先生方は現場をみて、子どもとよく関わってほしい。教育課程編成は子どもの関わり方の共通理解を図り、これからの学校を考える一番のチャンスである。私のような団塊の世代は高度成長期を経験している。そのため、どこか将来に夢があり、理想があると考えている。それは団塊の世代はバラ色の前半戦なので、どこかで夢を追い求めている。しかし、現実の中にしか夢はない。でも、現実の中でみんなと共有しましょうよと。ぜひ現場の中をよく見て、縦糸と横糸を整理して見直すと、いろんな問題が見つかるしヒントもいっぱいある。私たちの中にヒントはあるし、日本の教育はそれだけのことをやってきたと思っている。特に変わったことではない。もちろん小学校英語などはあるが、それは仕方がない。でもそれ以外のことは必ず子どもたちの中にヒントがある。そう思っている。
新学習指導要領で育てたい子どもの力や、習得・活用・探究を、教育課程編成上、どのようなことに注意しながら作成すればよいか
(小田切先生)
豊田南小、豊田組合立豊田中学校の卒業生。今あるか分からないが「青春の塔」を作った時代の卒業生。お手元の4枚の資料をご覧いただきながら説明したい。
最初に、今回のテーマの結論。資料の通り、今回の新学習指導要領で育てたいのは「生きる力」。習得活用探究をどうするのか、これは様々な活動とのかかわりを重視する。そして常に教員側が今何を育てようとしているのかということを意識する。これが私の結論。これらについて説明していく。
まず1P下、「生きる力」の要素について。新学習指導要領には様々な単語が並んでいる。新しいものに注目しがちだが、これまでの指導要領に書かれていることは当然行った上で、更に、ということ。そこが大変に感じるところ。ただしこれまでの話にもあったように、無理をしないでやるということ。私なら無理をしないでやる。でも確実にやると思う。ただし負担やストレスになるものにはしていかないで作っていく。やるものはきちんと時間割に入れていくと思う。
2P目。「でも」、というところ。無理をしないが、各教育課程に関しての共通理解には時間をかけるだろう。私も学校評議員などをやって最初のPTA総会などに参加するが、生きる力に関しては保護者にも理解をしたいということが書いてある。ただその説明がなかなか無い。更に先生方の学級懇談・学年懇談を見ても、生きる力を育てていくよという説明もない。となるとまだそれに関して教育課程として一つの柱として位置付けたんだよという意識は非常に薄いのではないかと。実際(の全面実施)は23年だとしても、実際すでに生きる力はやっているんだし、これをもっと押して行こうというのはもっと親にもアピールしていく必要があると思っている。ただ、無理をしないとあるように、では生きる力の中のこの要素を本校では柱にやっていく、そこだけを打ち出していくことが大事ではないかと思う。各教科等の指導計画は教科書会社が出したのをそのまま載っていることが非常に多く、組み換えをしていない。つまり教科でバラバラに見ているということ。教科のリンク、関連性がほとんどないまま教科書会社がつくった順番通りにそのまま教育課程となっているというのは、ちょっとお互いに意見交換をするだけで変えられるのではないかと感じている。
下に行って課題。振り子のような改革で現場では非常に大変だと思う。私自身も13年間現場で教員をやった後で大学に移ったので様々な教育課程を作ってきた。その間も揺れ動いてきたのも事実。私は私立にいたので前から中学に英語を入れてきた。その時間数の調整が非常に大変なのもわかっている。私学なので、ちょっとすぐに力がつかないとすぐ子どもは来なくなる。確実に力が付く活動をしないと難しい。そんなときに重要なのはぶれないこと。ではどう考えればよいか。今の現場では指導要領が変わった、教育目標は県があり市があり校長が変わるたびに教育課程の柱が変わってよいのか。変わらないとしたら(変わらないとしても)、グランドデザインも昔からのテーマがずっと載っている。それでよいのか。その辺を整理していかないと、こういう研修会などに関しても、やることが多すぎて肝心なところが何なのかが見えないまま時間が過ぎていくのではないかと感じている。もっといえば、国や県が理想の教育課程をもっとどんどんだしていけばいいなと。文科省としてはこういうものが一つの理想なんですよと。あとはこの部分だけ地域のものを入れていけばどうですかと。そういうものを今度、静岡県版カリキュラムというのがあるが、もっと大きく教育課程全体として、地域のこういう特別活動をこういうところに位置付けたらどうですかと、そういうことを要求していったほうがいいのではないかと。それぐらい考えている。
3P目。地域・家庭との関わりが重要になってくると思うが、ここは無理をしないで一つに絞って定着させていく。下の方の習得・活用・探究もそうだが、私が学校評議員をやっている学校では、「『整理整頓』を一つのキーワードでやってください。次回来るときまでに靴箱が一つも乱れていないようにしてください。今度来るときは生徒一人一人の机の中を見ます。それを心がけてください。今度はノートを見ます、今度は発表の様子を見ます。整理整頓一つでよいので、目に見える形になってくればこの柱で十分やっていると私は評価します。出来ていなければ学校評価は全てCと考えさせてもらいます」。そう言えば学校の先生は一つから始められるので、わかりやすい意識が出来るのではないかと思う。
下の方は習得活用探究だが、私自身はこれらを切り離さない考え方で全活動に位置付けることが重要だと考えている。
最後のページは後ほどの補足の時にお話しさせていただくと思うが、やらないといけないことや課題がいっぱいある。ただ、随時修正可能なものであり、先生がストレスをためることなく展開できる教育課程。それが理想だろうと今は考えている。
もう一度、各先生から補足説明。その後フロアの先生方にもマイクをまわして、いままでの話を聞いて、もっと聞きたい点や質問など
(寺田先生)
各先生のお話を聞いて、実はちょっとほっとしている。「無理をしなくていいんだな」と。また子どもと向き合うことの大切さも。法的な根拠の部分も、改めて話を伺うことで整理できた。ただ、常に意識をしなさいというと、評価をしなさいと考えてしまう。評価のために実践するということ(ではなく?)、言葉を捉える意識、常に子どもをみて子どもの姿からいま自分がやっているのは良いことなのかを常に考えることなのかなと思う。例えば、授業が嫌いな先生はいない。先生は授業が好きだと思っている。なので、授業時数が増えたということは、むしろ子どもと触れ合う時間が増えたと解釈した方がよいのかもしれない。そこで、子どもの学びを見た時に、ただ目が輝いている、表情がよい、ということだけでなく、数値的な評価もある意味大切だと思っている。苦労して授業研究して子どもに力がつくことは、苦労ではなく充実感だと思う。話を聞いてそう改めて思っているところ。
(山田先生)
(司会より:国が基準を示すことについて)
小田切先生から提案があったとおり、国としての教育課程を示してはどうかという話があったが、それが学習指導要領なのだろうと思う。結局、一人ひとりの子どもの長所を伸ばし弱点を良い方向に転換させることは、向き合っている先生や親など、直接子どもに関わっている人でしかない。そうした総体を捉えるためのあくまで基準として学習指導要領。逆に、まったくのフリーハンドでやってくださいといわれても学校現場も大変だろう。
評価の話については、平成20年1月の中教審答申では、より効率的で簡素な学習評価が必要とされているが、これまでの改訂でも、指導と評価の一体化ということで改訂後にセットで議論している。今回についても、平成21年の4月にワーキンググループを設置し、動かしているところ。静岡県の先生も二人委員として入っていただいている。これまで4回ほど行ったが、中教審教育課程部会という親会議の方へ報告されている。審議内容は、これまでの意見を整理したところで、正直なところまだまとまっていない。基本的な方針としては簡素で効率的な、というのがキーワードで、これがぶれるということはないと思っている。平成21年度末をめどに審議中。審議の中でも出てきたし私自身も思っていることは、評価というと何となく選別、競争といったイメージで捉えがちだが、そうではなくて、子ども一人ひとりの特性を捉える、チェックする、あるいは先生自身の指導がどれだけ子どもに定着しているかを把握する手段の一つとしてとらえることが重要であると考える。
全国学力・学習状況調査についても、社会の変化に応じて10年に一度、指導要領を改訂するために数値の根拠が必要となるわけで、そういった意味で評価することは重要だし、アクションを起こすためにも重要だと思っているところ。
(原田先生)
(司会より:振り子が動く時代でもう一度考えないといけないこと)
難しいが、どちらに振れても結果的には、どちらも勉強になったなあと思う。教材の構造と学力をどう捉えるかがポイントだと思う。たぶん、(教育内容の)現代化をやった先生は、いつでも理科の授業は仕組める。そのぐらい徹底して教材の系統性と探究の学習のスタイル・方法が何なのかが分かっている。それで左右にぶれようが、実は一つだろうと思っている。系統学習か問題解決学習か。考えさせる学習か教える学習か。全部同じ世界の中にあると思っている。教育工学的アプローチか羅生門的アプローチというのがあるが、これはどういうことかというと、研究を進めていくときに、目標をだんだん分析していって最後に手だてを講じて授業するというスタイルと、もう一つは、子どもをよくみて子どもの表れを羅生門的に考察していって授業を作っている研究スタイル。実は同じことなんだと。どういうことか。私は村松先生と同じ附属浜松中にいた。そこで目標分析を徹底的にやった。今度は2回目に附属に行った時代は、目標分析を捨てて、子どもに寄りそう時代だった。実は表面的には揺れているが、目標分析を徹底してやった人は、子どもをある程度見られる。
評価・評定というのは、評定となるところは、やむを得ない、やって下さいと言わざるを得ないが、評価となったときに、その物差しって何、っていうのは学習指導要領。目標分析をやる人が子どもをよくみると、その目標分析が非常に多様。私たちのように現代化をやった人間が紆余曲折を経て子どもをみると、ものすごく多様に見える。学習指導要領は、子どもがこんな表れをしたときに、いったい子どもはなぜそんなことをしたんだろうと考えるときに、その向こうに学習指導要領があって、どんな体験をどのようにやってきたかという人にとってはその構造(行動?)が見える。そうすると次にどっちにつながるというのが見られる、やれる。学習指導要領に何かを引っ張り上げようとする。入ったものは合格。学習指導要領をずっとよく読みこなして自分のものにした先生は子どもの姿が見えるんじゃないか。そのように今の子どもの表れを過去の経験から見られるようになると思う。子どもをみて評価をして、その子どもの上に一枚一枚重ねていくという。そのときに見えないとやれない。そのために学習指導要領をよく読みこなしていかないとやれないし今までの学習指導要領をある程度見ておかないと、急に新学習指導要領ができたわけではない。私たちからみると、昭和46年の教育内容の現代化をやった人たちが今回の学習指導要領をみると、この行間が読める。私は決して過去の学習指導要領を勉強しろと言っているのではなく、子どもを一生懸命いろんな示唆から見ると、学習指導要領が分かるようになるという意味。ただし、学習指導要領を読んでいるだけでは子どもは見えない。現場の子どもの姿に私たちは何を見取っていくか、そのために学習指導要領があるし、先輩から聞いたいろいろなものがある。
(小田切先生)
(司会より:理想の教育課程とは学習指導要領とのことで、本当に読みこなすことは縦の系統が分かるということだが、、、)
そのとおりだと思うし、今回の指導要領で求めているのは何かという資料を作るときに、指導要領に熟読してくださいと書こうとも思った。ただ、解説を読まないと見えてこない。それが見えてくるとつながりが見えてくるが、全教科の解説を読むところまではなかなかいかない。本当に量が多いし、中学行ったら自分の専科は読むが他教科は読まない、これが普通だと思う。だからこそカリキュラムとしてつながりを持たせるためには相互の情報交換、今やっている単元や今やっている説明は何の力をつけるためにこの時期に入っているのか、その疑問を意識することができると全体の教育課程が少し見えてくるのではないか。たとえば理科では3年生で説明文をやる、それを使って理科で書けることをやってみよう。風やゴムの働きをやる。これは表やグラフを使う。これを算数でもリンクさせてみよう。風で動くおもちゃは図画工作にもある。では時期をずらしてここにセットして、説明文を使いながら理科の実験を最後に書きつつ図工でもの作りをして、最後にゲーム大会にしようかな、そこで言語のなかで表やグラフを使いながら説明できる力をつけよう、とか。そういうトータルな力の付け方というのは、学年主任や教務主任クラスの先生にまでいかないと無理。これが新採の先生だとどの教科とつながっているのかが見えてこない。となったらそれに関しては上の先生方が指導してこういうつながりがあるんだよ、何でこの次に来ているかなどを教えていかないといかないな、と。大学で教えていて思うのは、一番学習指導要領を知っているのは、今年採用試験を受けている学生たち。それがリンクに関してはほとんどわからない。それどうやって教科書になっていくのか、どうやってつないでいくのかというところは指導していかないと、教育課程どころではないかなという感じがしている。
<会場からの質問>
いろいろなお話ありがとうございました。小田切先生とは同級生だが、高校時代から生きる力をもっていたなあ、今も成長し続ける人だなあと。
小田切先生へ質問
レジュメのP3を実際にどう進めていくか。キャリア教育、人権・福祉教育、環境教育、食育の4つが大切という必要性はわかるが、新学習指導要領も進めながらこれらもやるというか、どうやって横を通していけばよいのか。うまく横糸をつなげている学校の事例があれば教えて欲しい。
山田先生へ質問
学校でもやりながら、国でも、各省庁などのヨコのつながりを持って全体的に下すことが可能かを教えてほしい。
<会場からの質問>
われわれの意識改革とそれに伴う授業も新学習指導要領によって変わっていかないといけないと思った。ただ、伝達講習だけで現場の先生の意識改革につながるか疑問に思っている。
教務主任、教科主任として、どのようにリーダーシップをとっていったら先生方がの意識が変わるのかを教えてほしい。
<会場からの質問>
新学習指導要領に対してこれまで否定的だったが、有難いものだなあとちょっと考えが変わった。一方でまた否定的にもみてしまう。
時数が増えることは仕方がないと思うが、PISA学力テストの順位が下がったから内容が増えたと思っている。では、内容を増やさずに時間数を増やして、子どもに活用能力を高めるという発想がなかったのか。今の子どもは1年生入学時のレベルが10年20年前のレベルよりもかなり下がっている。その子たちにそれらの力をつけることで四九八九してきて、うまい具合に重要内容も削られてきた。ところが、学習内容が戻ってきたとしても、素地になる子どもが育っていない。これについて家庭教育の重要性を強く言ってくれているのは有難いことだが、それを学校に求められると、じゃあその力を学校でどのようにということになると、授業とはまた別の分野で負担が増えることになる。新学習指導要領は有難いと思うが、内容を増やすことが大事なのだろうか。
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Q1に対する回答
(小田切先生)
良い実践例は、絶えず先生が意識して、どの教科でも関連があった時に触れている学校は確実に力が付いている。積極的に横道にそれている。4つだけを教えるためだけにカリキュラムを組んでいる学校は、表面的にはうまくいってても、うまくいっていない。たとえば、鉛筆の持ち方一つ教えられない先生が、食育や福祉の教育ができるだろうか。それと同じで、常に意識して先生が嫌というほど徹底して言わないと、効果はありえないと考える。
(山田先生)
4つの教育以外にも、私がいる教育課程課には、たとえば消費者教育、金融経済教育、年金教育、薬剤教育、和装教育。学習指導要領には、たいていの場合こうしたものがどこかに位置付けられており、また、さらには総合的な学習の時間で教科横断的なことができることになっている。学校としてキャリア教育や環境教育の計画を作るのは、今のところ何ら法的な強制力はないので、ご指摘のような「計画を立てているか否か」のチェックリストが来ても安心して「つくっていない」に丸をつけてくれればよい。ただ、社会に出て実践につながる力を、学校でも身につけてほしいというのはそれこそ新学習指導要領の要旨にもある部分かと思っている。
Q2に対する回答
(原田先生)
8月にある各教科の新学習指導要領の説明会後どのようにやればよいかのヒントになるかもしれないが、一番難しい質問だと思う。教員は、べき論を言うとその場ではやるが、現実的には変わらないと思っている。現場の教師の主体性の中にしか存在しないと思っている。そうすると、いかに教師の再生(?)がされているか。最適にやるにはどうやればよいかを、私はその先生が、その学校において受け入れられていると思えば一生懸命やると思う。何でもそう。自分がその学校に存在価値があると思えばやる。だから、ある中学校に赴任した際に一番最初に私がしたことは、すべての自分の教育観・教育方法を捨てたことから始めた。先生が何を一生懸命やっているかを見ることから始めた。すると、例えば生徒に何の影響も与えていないぼーっとした先生でも、毎日サッカー部の練習には立って見ている。その先生がそれだけでも存在価値があり、廊下でサッカー部の生徒と合うとニコッと笑う。そのレベルまで全員を見取り、受け入れてやらないと、人間には再生(?)にはならないと思う。べき論をいくら持ってきても人間は動かない。最後は自分が認められている、存在価値があるという学校全職員の風紀を作ることだと思う。特に教務主任は良く見て声をかける。かつその時に、特別変わったことをしている人間や表面に出てくるものに価値を認めないこと。ごく普通のことに価値を認めるリーダーであってほしい。毎日のことだから、特別なことをやった人だけでヒーローになったら学校は乱れる。たとえば給食指導のときにどういう振る舞いをしているかを見る。私は自分が学級担任をやっていると思って座って見ている。もう一つ私が当時しきりに言っていたことは、人生数十年やっていたら、全部の人生を背負ってそこにきているよということ。それをお互いにわからないと、いくらべき論を言っても前には進まないと。それをだまって感じ取る。
ある中学校の教育の中心は、弱さで分かりあい(?)出来ることで貢献し合う教職員集団というのが、実はグランドデザインの裏側にある。意識改革の二つ目は、子どもをきちんと見て、子どもを見れる力を育てることだと思う。7,8年前かもう少し前、ある中学校中は火事があり非行に荒れ狂った学校だった。非常に大変な学校で、必ず一人が授業を見て回っている。3年前くらいに授業研究をやっと始めた。授業中に子どもの表情がちょっと変わった瞬間をメモして、子どもに「あのときどんなことを考えてた?」と聞くように言った。それを集めてふせんを書いた。そうすると、「あのときに迷っていた」「ちょっとこの子はあの子が意見を言うまで不安だった。あの子が意見を言ったときにニコッと笑ったのはあの子の意見とちょうど同じだったから」とか出てくる。そうすると過去のこともでてくる。実はこういうふうに授業改善をしていかないとだめ。べき論ではだめ。子どもの表情が変わったり、つぶやきが出たりしたときに、その子の背景をみんなで考えることが大切ではないか。たとえば生徒指導ならその子のこれまでの歴史や家庭環境が見えてくる。授業での発言で過去の教材が見えてくる、そういうのが本当に指導力では。もし私が校内研で伝達講習をやるとしたら、みなさんの日頃の課題や疑問をワークシートや付箋にかいて分類していく。少しでも先生が意見を述べやすく、子どもの事実や背景が分かりやすくなるようにしたほうがいいと思う。人間は感情で動いて、後で理屈をつけるもの。だからいかに感情がどれほどセンスがあって、これまでのことからパッとなるか、そういうものの積み重ねだと。するとどんどん校内研でもちょっとしたことでも出しあったりするのではないか。私は本当に教員は力があると思う。話は横道にそれるが、朝家を出たが学校に来ていない、家出した少年がいた。校長室のホワイトボードに「×時×分××を見回ったがいなかった」と書いておく。すると必ず職員が見に来る。「じゃあ校長先生、私は××を見てきますね」と言ってくれる。ちょっと意見を出させる。(それと同じように、)ふせんを書いてみると(意見が)出てくるんじゃないかと。もっと現場の先生を信じなさいと。ありのままを出させて組織化するのが一番いいのではないかと思う。
Q3に対する回答
(寺田先生)
すでに伝達講習を受けたが、実は、正直意味がないと思っている。聞くだけ。もちろんメモも取るし資料も貰うが…。なので、今夏、先生方にも伝達を受けてもらうことになるが、それを受けて校内でも伝達してください、というのは実はやめようと思っている。そうではなく、ゼミ形式というか、参加した先生が資料を刷って、説明なしで読んでいただく。読んでいただいた後でグループになって、読んでわからなかったところや、どのように理解・解釈したかをグループで話していただこうと思っている。意見を出さないといけないので前向きに資料を読むし、共通理解が出来ていないところはそこで固まるのではないかと期待している。資料をわけて報告するような伝達、県教委や市教委がやっているような形はやめようかな、と思っている。
(山田先生)
たぶん趣旨説明のような説明は、行政側からの説明の機会としては十分あると思う。なので、むしろそうした趣旨を受けて、「ではうちの学校はどうなのだろうか」という実際の授業に跳ね返る形でどうしたらよいのかを議論していただくのが学校の中では必要ではないか。
(小田切先生)
今の子どもたちの体験不足を考えていくと、例えば理科では科学的な見方・考え方が目標になっているので、それをいろいろな多くの内容で身につけていく方が恐らく正しいのだろうと。そして系統的に、例えば理科では高校までつながった。それにこの段階でこれをやっておくべきだという前の指導要領に戻ったわけだが、それが前段階の知識になり、中学で生き高校で生きてくる。内容が増えたということよりも系統性を持ってつながったのだろうと思う。ここにいる先生方は恐らく増えたと感じないと思うが、ある世代の先生方は自分が習っていないものを教えるということになることが一つハードルがある。ここに関しては教育課程を作るときに先生方十分に指導しないといけないと思う。
(原田先生)
昭和46年から、中学校では昭和48年あたりに実施された指導要領はものすごく系統性が強かった。それを教えていた私たちからすると、だんだん減ってきて、平成元年あたりの指導要領は私が目標分析をつくった記憶もあり、そこまではうまく系統を追う事が出来た。ただその次の今の指導要領になると、うまく授業できるか私自身も自信がない。あまりにも間引きされているから。それで今よく授業が出来ているなと。平成元年あたりでも、私は教材の間あいだに入れた。子どもを見ていて、いれないとやれなかった。今度の学習指導要領は自分ですべて目標分析をして目標を立てているわけではないからはっきりとは言えないが、多分、以前やっていた人から見るとやりやすくなったかと思う。量はちょっと気になるかもしれないが、つまり子どもが思考しやすいように過去に手がかりがあるようになってないようなものかなあと思うが、いやそれは違うと思われると困ってしまうが。一応そういうふうに考えている。よく子どもの思考を追ってみると楽になるのではないかと思っている。平成元年の改訂時に、平成3年か4年に授業をやっていた頃はそれでも授業がやりにくいなあとは思っていた。最低基準なので、全国統一としてはこれでよいと思う。精選するというのは子どもの思考に立っていればよいがそうではない。ただ逆に言うと、今はよくみるとかえって手がかりができて子どもにとってはやりやすいよ、というくらいしか言えない。
Q4に対する回答
(山田先生)
家庭教育に関しては、約60年ぶりの教育基本法の改正に基づき位置づけられてところ。私見かもしれないが、私自身子どもを育てている母親の一人として、家庭の教育力が低下したとは正直思っていない。周囲のママ友達を見ても一生懸命子育てをしている。パパも子育てに関与して、むしろ昔よりも子どもに集中しているという感じも受ける。ただ、地域の教育力についてはどうなのだろうか。地域で放ったらかしに遊ばせておいてその中から学んでいく力についてはどうなのだろうか。ここ20-30年で変わっているのではないかと思う。そのため、学校に上がってもうまく人間関係を築けない子どもが増えていることは分かる気がする。家庭教育については教育社会学関連で興味深い書籍がたくさん出ており、「家庭教育力が低下しているわけではない。昔はもっと子どもは放ったらかしにされていた、捨て子だって存在した」という本もある。家庭教育力の低下については本当にどうなのだろうかというところはある。ただ学校側が、家庭教育のフォローに力を入れている、抱え込んでいることも磐田にいて感じた。答えになったかどうか。
(寺田先生)
いろいろな考えの保護者が本当に多い。そのため、こうしてくださいと言ってもなかなか理解されない場合もままある。だが、あきらめないというか、常に耳を傾ける体制をとっていけるような職員体制、一人ではなかなかいろいろな家庭に立ち向かうことは難しいので、みんなでやっていけるような体制をとっていけたらよいのではないかと思う。場としても総会、懇談会などは資料を提供していく。私自身こういう立場なので、懇談会の場には資料を用意してこんなふうにお話しくださいとお話しているし、本当に具体的な話になるが、家庭学習習慣をつけてもらうために、月に一回学習習慣のカードを作ったり、啓蒙を図るというか、そんなことをしている。保護者からクレームが来るかとおもっていたが、家庭学習カードについてはクレームが一件も来なかった。なぜか。やはり子どもたちに力が付くことを前面に出した時に、それを否定する親は一人もいないから。みなさんわが子を出来るようにさせたいという思いは私たちとなんら変わらない。そこを前面に出していけば分かりあえる。
各先生からの回答を受けて、会場からの意見等
鈴木先生(豊田南中)
教務主任になったばかりだが勉強になった。平成24年の完全実施を前に、教科によって時数が増える教科と増えない教科があり、このままいくと免許外か週時数の対応がかなり増えると危惧している。そのあたりについて、前任の教務の先生から、今後も教員数が増えることはないとの引き継ぎを受けているが、方向性についてわかることがあれば教えてほしい。
(山田先生)
全連小、全日中に対して、指導要領改訂を受けての課題を5月にアンケート調査を行った結果からも、教員数不足が一番の課題としてあがっている。文科省としても次なる課題はそこだろうと強く認識している。一方、学校が偏在している状況があり、地域で通える範囲にあるにも関わらず統廃合が出来ない課題を抱えている自治体があると認識している。地域の拠点として学校はなかなか簡単に統廃合できるという話ではないと思うが、教員の数自体を全国割りしてみると、教員一人当たりの子どもの数は、少子化の時でもあり、実は非常に少なくなっている。そうすると、統廃合は避けて通れない。ではどうすれば統廃がやりやすいのか、あるいは学校の適正配置については今まさに中教審で議論しているところ。そうしたものも含めて、教員数については前向きに、もう少し時間がかかるかもしれないが取り組んでいきたいというのが国のスタンスかと思う。
各先生よりまとめの一言
(山田先生)
2年間弱の間に、袋井市と森町の授業は見る機会がなかったが、少なくとも磐田の授業を拝見する限りは、先生の授業づくりにかける素晴らしい意気込みが連綿と続いていることをつくづく感じている。授業を見ていて涙するというか、授業のポイントポイントを見ていて「この授業もうちょっと見ていたいな。次にどうつなげていくんだろう」と思う授業実践がたくさんあった。これまで述べてきた新学習指導要領の趣旨を、今回の新学習指導要領が出る前に汲み取って実践されている先生がたくさんいると思っている。そうした実践を、積み重ねを沢山広げていっていただくというのがよいのではないかと思う。新学習指導要領だからといって特別に気負うことは全くないというのが磐周地区なのだろうと思う。ありがとうございました。
(原田先生)
絶えず現場にエールを送ろうと思っている。今回の打ち合わせに際、豊田南中の校長室のテーブルに「命の教育」と書いてあった。横軸に教科・学活・道徳などいろいろなものがあって、縦軸に月日が書かれてあった。そこに付箋で「こんなことをやった」などが貼られていた。それを見て、「教育課程ってこういうものだよな」と思った。今あるものをちょっと整理してみる。整理の仕方はたくさんある。それをよくやっていくと、必ず一本の筋になり、点が面になっていく。点を線に、線を面に、さらに立体にしていくのが教育課程の編成というものかもしれない。そこで現場でやっているおとをやっていると、知らぬ間に「ここはかけているね」「ここはやめようか」「これを入れようか」ということになってくる。そうならない限りは、「このためにこういう課程を組む」とやったら現場から離れてしまうと思っている。ぜひ、命の教育を軸に「こうやるといいね」、そうすると「帰りの会でこんなことをやったよね」となり、それが一つのカリキュラムになる。そうやってネットワークをつくっていくのだと思う。最後に先生方が元気にならない、生徒の目が輝かない教育課程編成は失敗。もっと言えば、先生方の中から特休者が出たら、管理職は失敗、行政も失敗だと思ってほしい。皆が幸せになれないものはどこかがゆがんでいる。皆が元気になることが大前提。そうすれば絶対に教育改革が起きると思う。教育改革のために何かをしようとしたら絶対にゆがむ、と私は思う。
(小田切先生)
指導要領をもう一度見ていただき、熟読していただき、「これはいらない」と思うものはやらない。ゼロにはできないが、ちょっとだけやると。本当に大事なものをまず一つ。これがよいと思う。(たとえば)いじめは絶対許さないと確認する。非行は絶対許さないと確認する。そうなってくると鉛筆の持ち方は後でもよいし、上靴なんてどうでもよい。宗やって見えてくるものが、それぞれの先生が教員という職業を選んだ生き方として、若い先生には通じていくと思う。それがここにいる先生方の使命だと思う。無理をしないで、本当に大事なものは何か、柱を作っていく。ただ、矛盾するかもしれないが、教育課程を作る先生は指導要領の砦にはならないといけない。その先生方が指導要領を批判していたのでは教育は変わらないと思う。今は文科省しか砦になっていないが、それが段々降りてくれば、それが皆でやっていくことで、日本の国力や子どもたちの力をつけていくのだと若い先生に伝えながら、その中から目指すものが見えていくようにしていかないといけない。先生方が砦になることで教育課程は大きく変わっていくのではないかと思っている。ありがとうございました。
(寺田先生)
3名の先生、会場の先生方の話を聞き、「もう一度頑張れそうだな」という気持ちになっている。改訂の理論の上に立ちながらも、もう一度子どもをよく見て、リサーチして、ビジョンというか課程(仮定?)を作って、授業を中心として子どもを見取り、また計画を立て直していくという、今まで本来行ってきたシンプルな形をやればよいのだと思っている。何も変わったことをする意識改革ではなく、それを進めていくというのが私たちの意識改革ではないかと思った。ありがとうございました。
(平野先生)
私たちがやっていることが新学習指導要領なのだという意識を持つことが大切だと思った。各学校にはそれぞれの歴史や文化がある。それをきちんと捉えて、地域の実態や保護者の実態、家庭の状況をおさえる中で教育課程を編成する必要がある。何も特別なことをするということではなく、新学習指導要領ができたからスペシャルランチを用意するのではなく、普通の栄養価があるものをきちんとそこにそなえて推し進める。今までやってきたことを見直してもう一度取り組んでいくということだと感じた。ありがとうございました。
御礼のことば 顧問 村松啓至先生
パネラーの各先生、コーディネーターの平野先生、本当にありがとうございました。(拍手)最後に一言。今日のテーマは「新学習指導要領のポイントと課題」だが、私自身、最も感じた感想は、新学習指導要領だから、変わるからということではなく、学校、教育というのはどういうものなのかという本質を、前の4名の先生方に問いなおしていただいたと思っている。では私が教師として何をするか、出来ることは何なのかを、役職などを乗り越えて、その向こう側に大きいものが存在するということを示唆いただいたと思っている。教師の主体性そのものをエネルギーに頑張っていくつもり。本日は本当にありがとうございました。
